CETTEN

project

Merz

INTERVIEW
with

KOSUKE TSUMURA(FINAL HOME)

津村 耕佑

津村 耕佑KOSUKE TSUMURA

FINAL HOME DESIGNER

Art director・ fashion designer/ FINAL HOME project 主催、武蔵野美術大学空間演出デザイン学科教授
東京藝術大学 美術学部 デザイン科 非常勤講師、桑沢デザイン研究所 非常勤講師、日本文化デザインフォーラム会員、1983年より三宅デザイン事務所に所属し三宅一生氏の下主にパリコレクションに関わる。1992年ジャケット全体を収納スペースとして活用したウエアーFINAL HOMEを考案する。1994年ファッションブランドKOSUKE TSUMURA並びFINAL HOMEを(株)A-netからスタート。パリ、ロンドン、東京でコレクションを発表。2015年 独立FINAL HOME project始動

荒井 祥太

荒井 祥太SHOTA ARAI

CETTEN DIRECTOR

1999年1月18日生
同志社大学中退
大学在学中の2021年5月にCETTENをOPEN
2023年5月に中崎町の路面店にCETTEN 本店をOPEN
創業前より街のゴミ拾い活動を実施。現在はジャンクアートや街のインスタレーションに対しての活動を展開中。

荒井:僕が学生中にコロナの時期に引っかかったっていうのがあって、 大学も全部閉鎖されて、ずっと自宅待機、自粛っていうところが始まった時に、何か行動を起こさないといけないという、学生ながらの衝動に駆られてた時期があったんですよね。 その時に、何か一旦、自分の中で学生であった荒井祥太っていう存在から、所属を抜けた荒井翔太になりたい欲求があった時期がなんですよね。それに対して、自分で家にいることしかできないとか、出れてもコンビニ行くとか、そういうことしかできないっていう状況が続いて、コロナが落ち着いていった時に、やっぱ自分の何か無力さを感じて・・自分は何もできなかった人間だったんだなと、初めて人に支えられてたんだなということを感じました。 それで最初は、自分が住まわせてもらってる街に還元したいという純粋な気持ちから始めた活動がゴミ拾いだったっていう感じです。ただ、それをやっていくにあたって、組織化しようとか、もっと宣伝したいだとか、そういうことも色々、実は実験的にやってみたことはあったんですけど、 特段やっぱり面白くなくなっちゃって。僕自身がゴミ拾いなんでしてたかっていう目的と行動が解離してしまうみたいな、そういう現象がすごい頻発して、やめてしまう時期もあったりだとか、そういう繰り返しが何回かあったんです。それでこの半年間で、津村さんとのお話や自分自身で向き合ったりして、多分ハイレッドセンターも自分のアートのためにやってるんだろうなって気づいて、自分もそうなんだなって思いました。ゴミ拾いという活動が自分の肉体の一部であるような感覚になりました。

津村:なるほどね。自粛で自己表現するのがネットぐらいしかないタイミングで ストリートで表現するっていうか、自己表現をするって時になんかしら理由が欲しくなるじゃないですか。昔だったら、例えば、ストリートでダンス踊るとかあのー、ま、グラフィティ書いちゃうとか。色々ストリートでやることってのもあるんだけど。犯罪だったり他人に迷惑かけるとか、そういうことで自己表現するっていうのは、若者ならではの表現なんだと思うけどゴミ拾いっていうのは善意っていうか、善行しているということがあるじゃないですか、それが自己表現、ファッションって言ってもいいと思うんだけど。善意と自己表現が一体化するっていうかな。それが、と、都市というものにはま落ちているというか、広がってるんだなっていう気はするんですよ。まぁ、そこまで考えてやるとは思わないけど、結果的には良いパフォーマンスになるよね。

荒井:確かに、今思い返してみたらそうですね

津村:ゴミを拾っている自分を客観的に眺めた時に、どういう見え方をしているのかって事も生まれてくるじゃないですか。
ゴミに向かっている自分もあるけど、ゴミに向かっている自分をもう1回外側から見ているという視線を意識すると、どういう姿で向かえばいいのかっていうのが出てくる。だから、ハイレッドセンターは最初からそれを狙ってるから、あたかも何かが起こってるんじゃないかっていうのを民衆に見せつけるというか。非日常的な空間を作り出す。ま、演劇というか。それをやるっていうのはクールに考えたと思うけどね。 最初からこれは表現だという事ですよね

荒井:チラシまで作ってやってましたもんね

津村:今だったら偽善とか善意を利用してないかって思われる節もあるけど。だけど、実際問題、それでゴミがなくなるんだったら良いじゃん?それを芸術に昇華させる。そういうこともあり得るんじゃないですかっていう、 まあ、投げかけだったかもわからないですね。100%善意でやる人ってなかなかいない気もする

荒井:そうですね、実際、僕自身も、やっぱその、そこの葛藤というか、良心的な意識がある時とちょっと組織化してみたいとか色んな欲が出てきた時、下心というか、冷静な自分が出てたりしました。それで最終的な帰結としては、これはアートなんだよということにしてしまう方が綺麗かなと・・・

津村:アートにしてしまうっていうのは、ある意味、綺麗な危険なんだと思うんですよ。でもこれがファッションですよっていうと、すごく表層っぽく見えるけど広がりやすいなって気がするんですよ。ちょっと軽く見られるけど、その反面でファッションリーダー的な人がそれをやっているとおしゃれになってくるじゃない?それを真似してみんなやれば結果的に街が綺麗になるから良いじゃんみたいな

津村:津村:例えばパリだとね、割とゴミ道端に捨てたりするんですよ。タバコの吸い殻捨てるとか。それはゴミを拾う人がいるから、拾う仕事の人がいるから、 その人に仕事与えてんだって言い方してしたりするんですよ。ちょっといやらしい言い方だけど。灰皿でちゃんと消すよりもそこら辺に投げ捨てる方がかっこいいみたいな。そっちがファッションなんだみたいなね

荒井:そうですね。自分がアートって言ってしまうと綺麗すぎる、何か防御に走ってるのかなというのも感じましたね。そうですね。割り切ってファッションって言い切ってしまう方が楽になりますね

津村:服についてるゴミは取りたい。道に落ちてるゴミ、自分が歩いてる道綺麗な方がいいじゃんみたいな。単純にそれで良いんだよね。後は自分でそれがアートだ!ファッションだ!って言い切ってしまえば良いじゃないかな